タイタニック
1912年のタイタニック号沈没事故を、回想の形式で映画化した作品。
以前、渡辺雅男さんの授業でこの映画を観てから、タイタニック号が格差社会の縮図のように捉える色眼鏡を身につけてしまっている。そのため、今回もそのような観点から作品を鑑賞した。
口、髪、髭など身体のあらゆる部位を衛生検査される三等客(一等客は何の衛生検査もなく搭乗する)。海に投げ出される間もなくボイラー室に閉じ込められ溺死した肉体労働者たち。英語が読めないためどこから避難すればいいかもわからず慌てふためく外国人。三等客をデッキにあげまいとするクルーを殴り倒す三等客たち。そして救助されたあとも客室の「階級」によって居場所を区分される乗客たち・・・。タイタニック号で生じる様々な出来事が階級によって区分されていた。
それとは別に、今回印象に残ったのは、上流階級であるローズが抱える人生の悩みである。彼女は、自分の先の人生がすでに見えてしまっていること、家の存続のために政略結婚させられることに閉塞感、不公平感をいだいている。そのなかで出会ったジャック・ドーソンは、ローズを「いろんな意味において救ってくれた」人物なのである。
ローズはジャックに言う。「あなたはこう思っているのね? “金持ち娘の悩み?ふざけるな!”と」。
それに対して、ジャックはこう答える。「そんなこと。そんなこと思ってない。 こう思ってる。“何が彼女を追いつめたのか?”」。
上流階級に生まれ、潤沢な経済資本をもち、美貌も兼ね備えたローズのような人にも、いや、そのような人であるからこそ抱えている悩みや困難がある。「金持ち娘」であっても、悩むのである。そうした悩みから、ジャックという人が救ってくれたわけである。
しばしば、生活上の困難は、経済的な困窮と密接に結びついていると考えられがちである。しかし、たとえ経済的に豊かであっても、もしくはそうであるからこそ抱えうる困難があるのであり、上記のような考えに固執し続けると、そうした困難は見過ごされてしまい、支援が届かなくなってしまう。このようなことをリマインドされたような気がした。
余談:ジャックがタイタニック号搭乗直前にポーカーをしていた2人の男性は、オラフとスヴェン(「アナと雪の女王」に搭乗する雪だるまとトナカイの名前)という名前らしい…笑
リメンバー・ミー
家族と音楽の物語。死者の国が美しい。
人生タクシー
イランのジャファル・パナヒ監督による作品。パナヒ監督は、反体制的な作風などから、20年のあいだ映画に関わる様々な活動をイラン政府によって禁じられている。にもかかわらず、パナヒ監督みずからタクシー運転手に扮し、車内に搭載したカメラの映像をもとにつくられた“映画”が本作である。
タクシーの車内から覗き見るイランの街並みや(舞台がどこかはわからないが、想像以上に都市化した街並みに驚く)、タクシーのなかで繰り広げられる会話やふるまいから垣間見えるイランの人々の日常生活(なんというか、人と人の距離が近い。そして何より、パナヒ監督の姪っ子がかわいい!)は、もちろん興味深い。しかし、この映画の最たる魅力は、その着想の斬新さである。政府から禁じられているなかで、「このようにして映画を撮る方法があるのか」ということに驚かされる。自分のような人間であれば、禁じられてしまった時点で、映画製作を諦めてしまいそうである。そのなかで、パナヒ監督が本作のような映画をつくることができた背景には、映画製作にたいする彼の強い執念と、アイディアの豊かさがあったのだろう。
大学の課題で短編映画を撮るという若者とパナヒ監督の2人による次の会話からも、パナヒ監督の映画製作への姿勢が垣間見える。同時にこの会話は、自分を含め、何かをつくる仕事に従事するすべての人にとって示唆に富む内容でもある。
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「本を読み 映画を観て 題材を探してますが これというのが見つからなくて」
「いいかい 映画は すでに撮られ 本は書かれてる 他を探すんだ 題材はどこかに存在してる」
「何をどこから 始めればいいと?」
「そこが一番 難しい 誰も教えてやれない 自分で見つけるんだ」