映画ログ

これまで観てきた映像作品の備忘録

護られなかった者たちへ



これは、すばらしい映画だ、と思った。

震災と生活保護という2つのテーマがどのように関連づけられているのかは必ずしも明確ではないが、以下のセリフがそれを物語っているのだろう。

「震災は、怪物。

 私たちが立ち向かうこともできない。

 突然来て、全部壊して、たくさんの命奪って。

 母さんも。

 誰を憎んでいいかわからなかった。

 だけど、**さんが死んだのは違う!

 人間のせい、みんなが悪い!

 みんなが悪いから、**さんが死んだんだって。」

ここで、(「こいつ」でも「あいつら」でもなく)「みんなが悪い」と言われていることを、私たちは重く受け止める必要があるだろう。

この自由な世界で


ケン・ローチ監督作品。イギリス・ロンドンにおいて女性労働者と移民が置かれた悲惨な状況と、そのなかで両者が奪い・奪われる関係を描く。職業紹介業を開業し、移民たちを搾取する主人公アンジーが、なぜそうした危ない橋を渡らざるをえないのかといえば、彼女もまた男性性中心の社会で虐げられているからである。ケン・ローチがどの時期のロンドンをモデルにこの作品をつくったのかが気になった。

劇場

又吉直樹原作。演劇の世界を志す永田と、女優を目指して上京した沙希がともに生きた青春時代を描く。

永田がクソ野郎だとの評価が目に付く。演劇の世界で認められたいという夢が実らず、かといってその夢を捨て去ることもできず、どこか宙に浮いた日々を送る。その一方で、安らぎを与えてくれる沙希という存在に、演劇の世界で抱える不安から逃れるために擦り寄り、それゆえに真剣に向き合うことができない。そんな永田の姿は、たしかにおろかであるし、側から見てクソ野郎だとの評価は免れないだろう。ただ、劇中での沙希がいうように、永田は何も悪くないのだとも思う。だから、不器用な永田を見捨てることはできず、そうであるがゆえに、沙希も苦しんだのだろう。

ロブスター


ヨルゴス・ランティモス監督作品。パートナーがいない人間は動物に変えられるというルールが支配する主流社会と、恋愛をすれば処罰が下される強権的リーダーが支配する「森」の狭間で生き抜こうとする男性の物語。

どうやらこの世界では、2人の人間が恋愛関係にあること(あるいはパートナーであること)を正当化する証として、2人の間に何らかの共通点が必要、という設定が興味深い。そのため、主人公デイヴィッドは最後のシーンで選択を迫られるのだが、主流社会のルールからも「森」の支配者からも逃れてきた彼は、結局どういう選択をしたのだろうか。

めぐり逢えたら


原題はSleepless in Seattle(「シアトルの眠れぬ男」)。トム・ハンクス演じるサムが、メグ・ライアン演じるアミーに対して恋に落ちる理由がよくわからなかったが(一目惚れ? 「前に見たことある気がする」というのは伏線?)、コメディの要素もありつつ面白く観れた。

このあとにThe Lobsterを見てしまったので、パートナーと死別しても誰かと一緒になるよう駆り立てる周囲の人々が病的に思えてしまった。

コーダ あいのうた


合唱祭のシーンの演出など、随所にすばらしいと感じるポイントがあった。しかし、映画の中では描かれたなかった余白の部分が、どうしても気になってしまう。エミリア・ジョーンズ演じる主人公ルビーに嫌がらせをする学校の雰囲気は変わらなかったのか。周囲から浮いていたルビーはどうやって合唱クラブに馴染むことができたのか。そして、ルビーが家を去り、通訳がいなくなったロッシ一家は、これからどうやってやっていくのか。通訳者を雇っているように見えたが、そのお金はどうやって捻出するのか。なぜ、通訳という支えを家族もしくは市場から調達するしかなく、そこに公的な支えがないのか。こうした疑問には直接タッチしないスタンスなのかもしれないが、そうすることで、ストーリーの厚みやリアリティが失われてしまっているように感じた。

Joni MitchellのBoth Sides Nowは、やはりすばらしい曲だとあらためて感じた。