劇場
又吉直樹原作。演劇の世界を志す永田と、女優を目指して上京した沙希がともに生きた青春時代を描く。
永田がクソ野郎だとの評価が目に付く。演劇の世界で認められたいという夢が実らず、かといってその夢を捨て去ることもできず、どこか宙に浮いた日々を送る。その一方で、安らぎを与えてくれる沙希という存在に、演劇の世界で抱える不安から逃れるために擦り寄り、それゆえに真剣に向き合うことができない。そんな永田の姿は、たしかにおろかであるし、側から見てクソ野郎だとの評価は免れないだろう。ただ、劇中での沙希がいうように、永田は何も悪くないのだとも思う。だから、不器用な永田を見捨てることはできず、そうであるがゆえに、沙希も苦しんだのだろう。
ロブスター
ヨルゴス・ランティモス監督作品。パートナーがいない人間は動物に変えられるというルールが支配する主流社会と、恋愛をすれば処罰が下される強権的リーダーが支配する「森」の狭間で生き抜こうとする男性の物語。
どうやらこの世界では、2人の人間が恋愛関係にあること(あるいはパートナーであること)を正当化する証として、2人の間に何らかの共通点が必要、という設定が興味深い。そのため、主人公デイヴィッドは最後のシーンで選択を迫られるのだが、主流社会のルールからも「森」の支配者からも逃れてきた彼は、結局どういう選択をしたのだろうか。
コーダ あいのうた
合唱祭のシーンの演出など、随所にすばらしいと感じるポイントがあった。しかし、映画の中では描かれたなかった余白の部分が、どうしても気になってしまう。エミリア・ジョーンズ演じる主人公ルビーに嫌がらせをする学校の雰囲気は変わらなかったのか。周囲から浮いていたルビーはどうやって合唱クラブに馴染むことができたのか。そして、ルビーが家を去り、通訳がいなくなったロッシ一家は、これからどうやってやっていくのか。通訳者を雇っているように見えたが、そのお金はどうやって捻出するのか。なぜ、通訳という支えを家族もしくは市場から調達するしかなく、そこに公的な支えがないのか。こうした疑問には直接タッチしないスタンスなのかもしれないが、そうすることで、ストーリーの厚みやリアリティが失われてしまっているように感じた。
Joni MitchellのBoth Sides Nowは、やはりすばらしい曲だとあらためて感じた。
パラサイト:半地下の家族
リアリティに乏しかった。