映画ログ

これまで観てきた映像作品の備忘録

すばらしき世界


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かつてヤクザの世界で「喧嘩のマー坊」と呼ばれ、殺人の罪で13年間刑務所に収監されていた男が、刑期満了で出所し、カタギの世界に馴染もうとする。

世間で生きるということは、「似てますね」と愛想笑いして、理不尽に対して辛抱することだとすれば、なんと救いのないことか。安易に牧歌的なハッピーエンドに流れるのではなく、その救いのなさを描いてみせるところに、この作品の立場とメッセージを感じ取ることができる。しかし、現実はそのように救いがなく、希望に乏しいのだとしたら、「困るんですよ」。「空が広い」のだとしても、そのような世界は生きるに値するのかと問わざるをえない。これは、もちろん本作品の欠点ではなく、この作品を観た先に私たちが考えるべきことである。

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「シャバは我慢の連続ですよ。

 我慢のわりに大しておもしろうもなか。

 やけど、空が広いちいいますよ。」

きみの鳥はうたえる

三宅唱監督作品。函館の街に暮らす3人の男女とそれをとりまく人びとの生活を描く。

3人のうち2人は小さな書店でアルバイトとして働き、1人は失業中。遊びは、ダーツ、ビリヤード、クラブ、それから酒。仕事にしても遊びにしてもどこか閉塞感があり、函館での生活には気怠い時間が流れる。同じく海沿いの街であることもあってか、いまの私が暮らす佐世保の街の空気感ともどこか似ている。自治体としての人口規模もほとんど同じである。

佐世保でも感じる、あの気怠さのようなものは、いったい何なのだろうか。その向こう側にある暮らしの様相とはどのようなものなのだろうか。

護られなかった者たちへ



これは、すばらしい映画だ、と思った。

震災と生活保護という2つのテーマがどのように関連づけられているのかは必ずしも明確ではないが、以下のセリフがそれを物語っているのだろう。

「震災は、怪物。

 私たちが立ち向かうこともできない。

 突然来て、全部壊して、たくさんの命奪って。

 母さんも。

 誰を憎んでいいかわからなかった。

 だけど、**さんが死んだのは違う!

 人間のせい、みんなが悪い!

 みんなが悪いから、**さんが死んだんだって。」

ここで、(「こいつ」でも「あいつら」でもなく)「みんなが悪い」と言われていることを、私たちは重く受け止める必要があるだろう。

この自由な世界で


ケン・ローチ監督作品。イギリス・ロンドンにおいて女性労働者と移民が置かれた悲惨な状況と、そのなかで両者が奪い・奪われる関係を描く。職業紹介業を開業し、移民たちを搾取する主人公アンジーが、なぜそうした危ない橋を渡らざるをえないのかといえば、彼女もまた男性性中心の社会で虐げられているからである。ケン・ローチがどの時期のロンドンをモデルにこの作品をつくったのかが気になった。

劇場

又吉直樹原作。演劇の世界を志す永田と、女優を目指して上京した沙希がともに生きた青春時代を描く。

永田がクソ野郎だとの評価が目に付く。演劇の世界で認められたいという夢が実らず、かといってその夢を捨て去ることもできず、どこか宙に浮いた日々を送る。その一方で、安らぎを与えてくれる沙希という存在に、演劇の世界で抱える不安から逃れるために擦り寄り、それゆえに真剣に向き合うことができない。そんな永田の姿は、たしかにおろかであるし、側から見てクソ野郎だとの評価は免れないだろう。ただ、劇中での沙希がいうように、永田は何も悪くないのだとも思う。だから、不器用な永田を見捨てることはできず、そうであるがゆえに、沙希も苦しんだのだろう。

ロブスター


ヨルゴス・ランティモス監督作品。パートナーがいない人間は動物に変えられるというルールが支配する主流社会と、恋愛をすれば処罰が下される強権的リーダーが支配する「森」の狭間で生き抜こうとする男性の物語。

どうやらこの世界では、2人の人間が恋愛関係にあること(あるいはパートナーであること)を正当化する証として、2人の間に何らかの共通点が必要、という設定が興味深い。そのため、主人公デイヴィッドは最後のシーンで選択を迫られるのだが、主流社会のルールからも「森」の支配者からも逃れてきた彼は、結局どういう選択をしたのだろうか。

めぐり逢えたら


原題はSleepless in Seattle(「シアトルの眠れぬ男」)。トム・ハンクス演じるサムが、メグ・ライアン演じるアミーに対して恋に落ちる理由がよくわからなかったが(一目惚れ? 「前に見たことある気がする」というのは伏線?)、コメディの要素もありつつ面白く観れた。

このあとにThe Lobsterを見てしまったので、パートナーと死別しても誰かと一緒になるよう駆り立てる周囲の人々が病的に思えてしまった。