映画ログ

これまで観てきた映像作品の備忘録

ルーム


5歳になった男の子ジャックは、母親と一緒に「へや」で暮らしていた。「へや」には天窓があり、ベッドがあり、クローゼットがあり、トイレがあり、お風呂があった。日曜日には「差し入れ」があって、男が食料などを持ってきてくれる。何日かに1度の夜、その男は部屋にやってきて、そのあいだジャックはクローゼットのなかで寝ていなければならない。ジャックは「へや」から出たことがなかったが、「へや」の外は宇宙空間で、そこにはTVの世界が広がっていると思っていた。しかしある日、母親は自分の名前がジョイであることをジャックに告げ、「へや」の外には「世界」が広がっていると伝える——。

実の父親による娘の監禁・近親相姦・強姦事件(フリッツル事件)を題材にした作品。

印象に残っているシーンのひとつは、「へや」を出て「家」で暮らし始めたジャックが、義理の祖父であるレオとはじめて会話をするところ。「へや」を出てからというもの、ジョイ以外の人びとを怖がっていたジャックだが、「へや」で食べていたシリアルを食べながら、はじめてレオと話をする。ジャックはなぜ、レオと会話する気になったのだろうか。ジャックに対するレオのふるまい方がおもしろい。

ふたつめ、「へや」から出たジャックとジョイが、実の祖父母、そしてレオの5人で食事をするシーン。祖父は、食卓に座るジャックを直視することができない。7年ぶりに再会した娘の子であると同時に、娘を誘拐した犯人の子でもあるジャックの存在を受け入れることができない祖父の様子が見て取れる。私を含めた観客にとってのジャックは、「へや」で母親となかよく暮らしていた愛らしい子どもであるが、祖父にとってのジャックは必ずしもそのような存在ではない。「へや」のなかとは別の時間が流れ、別の「世界」が経験されていたのだということを痛感させられる。

最後のシーン、ジャックとジョイは、ふたたび「へや」を訪れる。ジャックは、「へや」に残されたイス、洗面台、クローゼットたちに "bye" と別れを告げて、また外の「世界」へと戻っていく。ジョイを含めた他の人びとから見れば、凄惨な事件の現場であり、忌むべき記憶が想起される場所である「へや」は、ジャックにとって、5歳になるまでのすべての時間を過ごしてきた、愛すべきモノたちの残る場所である。そこにはやはり、外の「世界」とは異なる、ジャックにとっての〈世界〉があったにちがいない。

フィッシュストーリー


パンクの波が来るには少し早すぎた1975年、売れないパンクバンドがつくった曲「フィッシュストーリー」が、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な展開で世界を救う、という話。

正直、映画が始まってすぐに、こういうストーリーであることは予想がついたが、それでも、異なる時空間を行き来しながら、なんの“因果”か「フィッシュストーリー」と結びつきをもってしまった人びとを描いていく展開は、観ていておもしろかった。

とはいえ、映画最後のタネ明かしを観たあとでも、「フィッシュストーリー」という曲が世界を救った、とはどうしても考えにくい。

たしかに、濱田岳演じる男子大学生が女性を救う決断をする際には「フィッシュストーリー」がバックに流れるが、彼の決断を決定的に後押ししたのは、直前に別の女性を助けられなかったことへの後悔であったようにも、少なくとも観る側には理解できる。

それに、その男子大学生が自分の息子を「正義の味方」として育てようとしたのが、「フィッシュストーリー」の影響によるものだったかどうかについては、映画のなかでは明らかにされていない。

このように、「フィッシュストーリー」という曲が世界を救った、と言えるような因果連関、あるいは出来事の連鎖が生じたと理解することは、少なくとも僕にとっては少々無理があるなあという感想をもった。

映画自体はフツーにおもしろい。

ザ・スクエア 思いやりの聖域


スウェーデンの映画で、2017年のパルム・ドール受賞作品。

現代美術館のキュレーター、クリスティアンは、新たな展示として、すべての人が平等な権利と義務をもち、公平に扱われる空間、「ザ・スクエア」を企画していた。そんなとき、クリスティアンは道端で女性を助けようとした際に、財布と携帯電話を盗まれてしまう。盗んだ犯人がいるアパートを突き止めたクリスティアンは、アパートのすべての部屋に、彼の持ち物を返すよう記した脅迫状を投函するが、これがさらなる災いを呼んでしまう・・・といった展開。

「信頼と思いやりの空間」=「ザ・スクエア」の外に広がる日常生活においては、様々な偏見、無関心、不信、差別、不寛容・・・が蔓延していることを描いた作品。

話の本筋とはあまり関係ないが、かなり脚色が入っていると想像するものの、スウェーデンの街並みで物乞いする人たちがかなり図太くておもしろかった。

 

ホームレス中学生

お笑いコンビ「麒麟」の田村裕原作の作品。住居の差し押さえによって、その家族、特に子どもたちがどのような状況に置かれることになるのかを見て取ることができる。

特に印象的だったのは、住む場所を失くしながらもたくましく生きていた主人公・ひろしが、亡き母が生き還らないことを悟ることで、生きようとする意志を失ってしまうというストーリー展開。公園で段ボールを食べながら生きていたひろしは、その後、住む家と離ればなれになっていたきょうだいを取り戻しながらも、母親という存在を「失う」ことによって、生きることを「しんどい」と思うようになる。このことは、生きる意志の喪失が、必ずしも家のような物理的な欠乏によってではなく、家族をはじめとする人間関係の欠落によってもたらされるということを示唆している。

「お母さんを失ったあのときから、ぼくらはみな、ホームレスでした。」

 

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン


1960年代にアメリカで小切手詐欺事件を起こし、「天才詐欺師」と呼ばれた男性の自伝小説をもとにした映画。巧みな嘘で人を欺き魅了するフランク(レオナルド・ディカプリオ)と、彼を追うFBI捜査官カール(トム・ハンクス)との逃走劇をコミカルに描いている。「ここまでやるか」と思わせるフランクの詐欺の手口には思わず笑ってしまう。

「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」などもそうだが、「内面に不安定さを抱えた金儲けの天才」といった役回りにおいて、レオナルド・ディカプリオの怪演が光る。

ザ・グレイテスト・ショーマン

ヒュー・ジャックマン主演。社会で隠蔽・差別された人びとを集めたサーカスを開き、成功を手に入れようとする男の半生を描いた作品。

なんといっても、音楽が素晴らしい。作品中でも強烈を印象を与える楽曲「This is me」の練習風景を記録した以下の動画は観る人の心を打つ。